子どもの日

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今春は桜の開花が遅れ、さつきもハナミズキも花と葉っぱが同時に開いてしまい、いつもは花びらで一杯の木を見ることができたのに、期待がやや裏切られてしまったと残念に思っていました。けれども今日、どうかな?と思っていたバラが、毎年と同じように咲いているのをみつけ、ほっとして撮影しました。

いろいろなことに対応しきれず4月が去りました。仕事は年度初め、家では出発したはずの子どもの新しい地域への適応と、私自身の適応におおわらわ。上の子の時のことを思い出し、高校生から大学生になるというのは学習内容が大きく変わって大変なことなのね、と改めて思いましたが、遠くに離れているのに、パソコンの接続や使い方や、洗濯が上手くいかないとか、小さなことへの時間がかかるのが、事態を困難化し、心配が募り募りの日々でした。

ようやく部活も決まったとかで、ゴールデンウィークは同じように地方に出た同級生を訪ねたりしながら今夜には帰ってきます。

帰ってはくるのですが、昨日、名古屋大の学生が寮で火災に巻き込まれ命を落としたニュースを聞き、親としては穏やかではない心境です。何か対応しなくてはいけないのではないかと、ドキドキうろうろしてしまう始末で情けない一日を過ごしました。子どもの近くに職場を変えようかと思うくらいです。

と思っていたら、今朝の新聞に「だいたい子どもというものは、親の目が届かないところで育っていくんです」と河合隼雄さんのことばが取り上げられていて、それをみてまた考えてしまいました。寺田寅彦さんは、「子どもに教育されることもまた親の義務かもしれないのである」と述べておられましたが、全く持ってどんぴしゃ! の、子どもの日になりました。

 

受験生の母

ここしばらく受験生の母の世界に浸っていたせいか、発信力が落ちてしまいました。

上の子どもの時より歳を取ったせいか、特に年末から合格発表がなされた最近までにかけて、受験生に合わせて時間と体力をコントロールするのに骨を折り、私の方が持ちこたえられないかもしれないと思うようになって2か月位で、ようやく結果が出ました。

合格翌日に住まいを決めるために現地に出かけたのですが、わたくし、なんと朝から腰痛で、内緒でベルトを巻いて出かけたしまつでした。そして、第一志望に受かっておめでたいのと、さみしいのと、感情が一杯になってしまい、あげく、どれがどの感情なのか、判別が付かなくなってしまうという2週間を過ごしました。

本人も、けろっとしているかのようで、いつまでたっても引っ越しの準備をしてくれず、友だちや高校の部活の練習で日々を過ごしています。私だけでなく、他の家族や長くお世話になった床屋さんも、さびしいさびしいと言っていますが。本当は、本人が一番いろんな思いをしているのでしょうね。

これで、私も受験生の母を卒業です。4月から、どんな毎日が待っているのか、いや、待っているのではなく、梅のつぼみのように、積極的に光を集めて日々を作っていかなくてはと思います。

 

梅の開花

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東京では梅がちらほら開花し始めています。まだまだこれから2月という時期ですので、寒い日の方がたくさんあると思いますが、そんななかで、気温が上がる日の、暖かな日差しを、ここぞとばかりにどん欲に吸収して蕾をぐっと膨らませるのでしょうか。今年はそんな風に見えました。

毎年、梅の開花には励まされているように思います。やがて春が来ると希望を持って明日も頑張るようにと。

 

あおべか介護タクシー

精神看護学教員のグループでずっと一緒に企画や運営にご協力くださっていた方が定年退職され、この春3月から介護タクシードライバーとして再出発されます。先日、パンフレットを送ってくださり、運転手でかつ看護師である、その方の開業がまじかとなったことを知り、とってもとっても嬉しい思いです。電動リフトつき、車いすの貸し出しあり、何より看護師が付き添ってくれるのですから、利用者は何倍も安心だと思います。通院、観光、買い物他、さまざまな外出にご利用いただけるようです。割引制度などもあるそうです。

「浦安あおべか介護タクシー」の命名は、山本周五郎の小説から、だそうです。べか舟である「青べか」は、浦安を中心とした東京湾の海苔を採る専用の小舟でした。かつて浦安一帯は漁師町として大変栄えた街で、とれた海産物を乗せて日本橋の魚河岸まで商船が乗り入れていた歴史もあるようです。

これから一体どんな路が開かれていくのかワクワクしますし、私はとっても刺激を受け、日々の小さな世界に引きこもらずに外に視野を広げていかなっくっちゃ、とお尻を叩かれた思い、そして元気づけられました。

営業所は浦安市今川、最寄り駅は京葉線JR新浦安駅舞浜駅

℡ 070(5554)9307

光のアトリエー人間としての回復

渋谷のユーロスペースで「ニーゼと光のアトリエ」という映画が上映されています。1944年のブラジルが舞台の実話で、電気ショック療法やロボトミーが最新治療として日々行われていた時代に、女性医師ニーゼが芸術療法を通した人道的治療を通して慢性重症精神科患者を回復に導く物語です。

最新の治療道具としてのアイスピックの代わりに絵筆を治療道具として患者に与え(クライエントと呼ぶように看護師に働きかけていました)、自由を与え、そして彼らの言葉に耳を澄ませる気力の力強さは絶大で、途中イタリアの精神科病院を廃止に導いたバザーリアを思い出しましたが、そのもっともっと前の時代の試みとあってさらに驚愕の思いで観てきました。

絵の中にはクライエントの心理が反映され、そして書き重ねるごとに、ばらばらであった絵にまとまりが生まれてくる。やがて曼荼羅と言える模様が沢山現れていることを発見し、ニーゼはそれをカール・グスタフユングに送ったようですが、その後もユングとの親交が続いたようです。クライエントのなかには本物のアーティストもいることも徐々にわかってきます。とにかく胸を打つ絵や彫刻と個性に圧倒されました。

芸術に取り組む環境を整えること、人間としてクライエントに向き合い、病衣から普段着に、女性にはルージュを、病院からピクニックへ、と入院によって奪われていたものを戻していきます。人間が身の回りのものによって人間らしくいられるのだという当たり前のようなことを改めて実感しました。

ニーゼ・ダ・シルヴェイラは、1999年に94歳で亡くなっていますが、映画の最後の方に、生前ドキュメンタリーで撮った映像で登場してきました。ユーモアあふれる人柄で「時代のために闘う道は一万とある」と言った言葉が心に残りました。

 

 

 

さざめきと亡霊

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「ボルタンスキー展」を観に東京都庭園美術館に出かけてきました。クリスチャン・ボルタンスキーは、一貫して、歴史の中でろ過される記憶の蘇生やそのなかでの匿名性の生と死を表現しているフランスの現代美術家です。アニミタスーさざめく亡霊たち というタイトルで、亡霊たちのさざめきが展開されていました。

朝香宮廷である美術館に入って行くと、はじめに、どこからともなく女性や男性の声が飛んできて、その言葉が私自身と関連しているかのような感覚に襲われました。幻聴体験というのでしょうか。平日の比較的空いている時間に入館したせいか、幻聴体験は奇妙な感じに、私が次の部屋に移っても追ってきて、誰かが壁の向こうに存在しているかのような錯覚に陥りました。

宮廷をめぐっていくなかでは、おどろおどろしい揺れる影が映されている部屋、暗闇に心臓音がどっくどっくと流れる部屋があって、一人で訪れている人たちが部屋の真ん中で立ち止まり、部屋全体に流れている感覚や感情を味わっていました。立ち止まらざるを得ない何かの力があるかのようでもありました。また、大会場では、カーテンの間仕切りの上の方に女性や男性のまなざしが描かれていて、あちこちからまなざしが飛んでくるかのようでしたが、2人づれの女性客が黙って観ていられないのか、くちゃくちゃとおしゃべりをしていました。幻想的な場にそぐわない現実的な声が響く違和感と、そのそぐわない場に対しての不思議な現実感を感じました。

最後に、さざめきを表す2つの映像の部屋。ベンチが準備されていて、そこで一人見入っている若い男性がいました。ベンチが二人掛け一脚しか無い、一人か二人で味わうことを設定としているかのような部屋のなかで、大自然の映像に風鈴音がながれてきて、亡霊がとなりに居そうに感じる体験を提供していました。

こうした表現の奥底には、ナチス強制収容所の死の記憶があるのだそうですが、私は統合失調症者の体験世界を表しているようにも感じました。一人でぐっと集中して回ってみたことで、自分自身が、そうした体験に近づき非現実と現実の間を行き来したような時間をすごしました。