櫨紅葉
このところ晴れた秋空の下をぽかぽか気持ちよく歩ける日が増えています。
近所のスーパーの近くの櫨がきれいです。もみじに比べて気候に影響を受けにくく、美しく紅葉しやすいそうで、日常に温かさを与えてくれています。上の方に、白い実がついています。
ネット上に訴える若者を救う
座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件に衝撃が走っています。一体、どんな動機があったのでしょう。白石容疑者とはどんな背景をもった人なのでしょう。遺体を冷蔵庫に保管していたなど、行動の異様さにも戦慄がはしっています。
被害者の多くがSNSを通じて容疑者とつながったという、この事件の裏に存在する若者の自殺願望を取り上げた記事1)を読んで、いっそう心が痛みました。自殺を防ぐ無料相談ネットのNPO法人OVAの代表理事で精神保健福祉士の、伊藤次郎氏および、NPO法人東京自殺防止センター相談員で理事の村明子氏へのインタビュー記事でした。
自治体による自殺防止の相談窓口としては電話での対応が主流で、メールやSNSを活用している例は少ないそうです。一方、若者のコミュニケーションツールの主流はネットであるため、十分対応ができていないというのです。実際、長野県教育委員会がこの9月にLINEで中高生の悩み相談を行ったところ、2週間で547件の相談が寄せられたのですが、これは2016年の1年間で電話などで寄せられた相談件数259件の2倍以上だったそうです。伊藤氏は、ネットの世界での支援のみでは効果が少ないので、行政窓口や病院、実家などリアルな世界へとつなげていくことが重要だと述べていました。また、村氏は、電話相談へのハードルは高いが、つらい気持ちを口にすることで生きていていいんだと気づく人もいる、と述べています。
日本の若者の自殺者数は第二次世界大戦後に一つのピークがあり、それを超えることは無いのですが、現在、国内の15歳~34歳の死因の一位は自殺であり、先進国では日本だけの傾向です。2017年度版自殺対策白書では「国際的に見ても深刻」と指摘されているようです。
若者の心には、その国のあり様や将来展望や希望や絶望が反映されているように思います。閉塞感が強く行き場の無い居場所の無い社会になってきているのでしょうか。若い世代の人たちが、辛い思いを自分に向けてしまわずに、社会関係のなかで、辛さを起こしている問題について共に考えていける社会、地域作りを行っていけたらいいと思います。
自殺防止団体連絡先
NPO法人東京自殺防止センター http://www.befrienders-jpn.org/
03 (5286)9090
(午後8時~翌朝6時、火曜のみ午後5時~)
NPO法人OVA http://ova-japan.org/
1) 朝日新聞朝刊 2017/11/05
毎日が面白いかどうか
古い本を整理していたら、「海馬 脳は疲れない」という池谷裕二氏、糸井重里氏の対談を編集した単行本が出てきました。この本は文庫になったと記憶しているので、随分古いはずと思ったら、2002年となっていました。15年前かあ。
ぱらぱらめくってみましたら、結構面白く、読みだしてしまいました。ずっとブームだった「海馬」を中心に、脳機能について、日常の私たちの行動に照らし合わせながら解説しているのです。海馬は記憶の製造工場ですが、その記憶の仕方の特色は可塑性なのだそうです。可塑性とは、粘土が形作られるそれです。もしボールのような弾性であったら、それは記憶として形作られない、粘土のように押したりすると変形として残っていくので記憶になるのです。トラウマなども、このように形作られますが、粘土と同じように、その傷は無くなることはなく、しかし、人間は傷を抱えながらも、他にもさまざまな可塑性による記憶を豊富に作るので、それがレジリエンスとして機能するようです。そして、可塑性は動物のなかでも、人間の脳に最も多く与えられているそうです。人間らしいゆえんを作っているのです。
脳はいつも刺激を求めています。閉鎖空間に閉じ込められた際に、幻覚や妄想が出てくるのも、脳が刺激を要求するためだと説明されていて目を引きました。いつも面白いことを探しているのが脳。そして、面白い刺激を繰り返し繰り返し求めるようになる果てに、天才が現れるそうです。
確かに、面白いことならば、他のあれこれはさておき、続けたくなるものです。続ければ、海馬は増え続け新たな記憶が作られます。よく、年だから忘れっぽくなったと言いますが、年を取っても脳を使えば海馬は増え続けるので、年は関係なく、日頃の好奇心とか関心を持てる何かとのつながりを絶やさないことが大事なのでしょう。
神経細胞はどんどんネットワークを作っていきます。それも30歳、40歳を超えた方が活発に脳が動くようになるそうです。脳を活発に動かすには、やる気が必要でしょうが、逆に、やる気は何かをやりはじめることによって出てくるものだそうです。まず先に、行動ということです。
環境に埋没し身動きが取れないという、あきらめから脱する一歩を踏み出すことそのものが脳を活性化するのです。さらには、こうして、日々一歩を踏み出し続けるということが、生きるということなのでしょう。一歩を踏み出すやる気を引き出すには、達成可能な目標とか、海馬とつながりが深く、感情をつかさどる篇桃体への刺激。後者には、ちょっとした生命危機である、お腹を空かせるとか部屋を寒くするとかいった方法があるそうです。
思考が停止気味の私は、ああ踏み出す努力が足りなかったかとちょっと思ってしまいましたが、この本と出会ったのは適時だったようです。
演劇実験室の試み
第8回プシコ・ナウティカの会に参加してきました。松嶋健著「プシコ ナウティカ」の抄読会で、今回は第6章「演劇実験室と中動態」でした。
「劇団態変」でボランティアをされている研究者が報告してくださり、興味深い話しを聞かせて頂きました。
第6章では、イタリアのある地域で実施されている演劇プロジェクトが紹介されています。演劇実験室というのは、もとはポーランド出身の演出家グロトフスキが始めた実験劇場の名称で、映画やテレビなどの視覚メディアが発展する中で、演劇にとってミニマムな要素である俳優と観客、両者がいる場を重視する実験的な空間を構想したものです。ここでは、自らの仮面を剥ぎ取り自分自身を超え出ていくことが追求されています。
グロトフスキは1986年から亡くなる1999年まで、その後も演劇実験室に参加した人たちが各地で実践しましたが、現在は予算の関係で中断しているようです。
わたしの関心は、これがイタリアでは地域精神保健のプロジェクトとして始まったけれど、精神医療は非関与で、医療の論理の排除されている点でした。公開パフォーマンス時を除き、主治医や看護師は見学できないそうです。演劇の最終目的は観客であり治療的介入ではないのです。
実際のトレーニングプロセスは、歩いたり、自分の自然な動きに身を任せたりしながら、自己の内面が浮き上がっていくような方法が取られていて、芸術療法のダンス・ムーブメントセラピーを思い出させられるものでした。
演出家の仕事はこうしたプロセスを経て芝居が出来上がってくるのを「待つ」ことで、俳優は贈り物としてパフォーマンスを提供し、観客は観る証人となります。
グロトフスキは、トラウマ的な体験や状況、自動的に反復している行動のパターンにある、身体ー記憶を解放し、身体的無意識を経験し自覚し身体のブロックを外していくことを「プシコ ナウティカ(魂の航海)」と呼んでいます。
そして、意識や思考に由来する身体の抵抗を取り除いていく引き算の過程で浮かび上がってくるのは、能動にして受動という体験だそうです。それを本書では「中動態」という一様相として説明しています。
中動態は、能動が同時に受動でもあるような身体と行為の次元で、ロラン・バルトによると、水とともに私が流れているのか、流さているのか、どちらでもあり、どちらでもない、中性という位相で、もともと西欧にも存在した文法形態だそうです。
中動態は、今、当事者研究や依存症の回復のプロセスで注目され出していますが、今回の報告者は、國分功一郎著「中動態の世界ー意志と責任の考古学」の國分氏と上岡氏(ダルク)の対談から、紐解いてくださいました。
上岡氏によると、薬物依存症者は、「無責任だ」「甘えるな」「アルコールもクスリも自分の意志でやめられないのか」と言われるそうですが、意志を出発点とするとダメだそうです。また、こうした言葉を投げかけられると、「しゃべっている言葉が違う」と感じるのだそうです。
國分氏によると、その回復を考える時には、薬物離脱の努力としての能動でも、強制による受動でもなく、中動態と能動態の対立として見ることによって、意志が前景化しないのではないか、意志の存在の有無への違和感から「しゃべっている言葉が違う」と感じるのではないかといいます。
さて、こうしたお話から、(意志を持つ)強い主体であろうとすることの病いとしての依存症という見方が思い浮かんできました。それから、上岡氏の発言にもあった「甘え」についてです。昔、アルコール依存症患者の病棟にフィールドワークで出かけていた時、看護師が患者に「なめられている」、「ひねくれている」と言っていたのを思い出し、意志にこだわった見方ではなく、甘えから見るといいのではないか、そして、中動態から見る見方は、「甘え」から見る見方とつながるものがあるのではないか、とふと思ったのです。
演劇実験室での参加者は俳優のプロ志向者より、少し興味があるとか紹介されたといった「あいまいな主体性」を持っている人が多いと「プシコ ナウティカ」には説明されているのですが、彼らは甘え上手であるのかもしれません。一方、社会適応が難しい依存症者は、なめたりひねくれたり、と、甘え下手という見方をしてみると、甘えの概念を介在させることで、中動態の実態を理解できそうに思いました。
最後に、劇団態変との対照からのお話も聞けました。10月13日~15日 寿ぎの宇宙、日暮里のd-倉庫で開催されます。
http://www.confetti-web.com/detail.php?tid=40258&
次回第9回は、「日本における性別移行の精神疾患化と世界における脱性疾患化の潮流」ということで、抄読会とは離れますが、とても関心深い講義です。
9月23日(土)14時~17時 目黒区五本木住区センター
引用参考文献
ページはめくられ続ける
全米大ベストセラー、[OPTION B ]のタイトルに引きつけられ、シェリル・サンドバークの人生物語を読んでみました。夫のデーブのあまりにもの急死に驚き絶望し、けれども立ち直るそのプロセスを、力強く躍動感あふれるリズムで書いています。櫻井祐子さんの翻訳がこなれていてとっても分かりやすいのも、シェリルさんの生き生きとした日々が、どくどくと伝わってくる理由だと思います。
副題にー逆境、レジリエンス、そして喜びー とあり、精神障害者の回復でも取り上げられるレジリエンスなどの文字が目を引くのですが、FacebookのCEOであるという有名人が、夫の死を機に、それをOPTION B、と捉えて奮闘するところに、人間として身近さを感じられるところが、ベストセラーにつながったとも言えるでしょう。
シェリルさんは、レジリエンスの種まきとして、セリグマンが3つのP、自責感(Personalization)、普遍化(Pervasiveness)、永続化(Permanence)が苦難からの立ち直りを妨げると述べていることを取り上げて、また「つらいできごとが、自分ひとりのせいではない、すべてではない、ずっとではない」と気づけば立ち直りが早くなるという研究成果を引用しています。
誰かに語ることの重要性、耳を傾け話しやすいように気を配ってくれる人のことをオープナーと言い大きな救いとなることを強調し、そして、シェリルさん自身が、同僚に友人に多くの人に聞いてもらいながら回復した実体験と、さらにはシェリルさん自身の周りの人たちの別れや暴力や虐待などの逆境体験と、その逆境からの立ち直りについて、学究的な視点も交え距離を取りながら論じつつ、感情を込めて語る、そんな文体でした。
回復の途の激しい感情の変化と感情の力と早いペースは、米国のハイテンションな成果重視社会のなせる技のようにも思え、読んでいて着いていけないところもありました。けれども、レジリエンスは、個人のなかで育まれるだけではなく、個人のあいだでー地域で、学校で、町で、政府でー、育むことができ、人々が一緒にレジリエンスを育めば、個人として強くなれるだけではなく、コミュニティとしても、ともに障害を乗り越え、逆境を未然に防ぐことができるという見方には、まさに体験に基づく力が溢れていて共感しました。
また、人間らしさは、人とのつながりの中から生まれる、そうした考え方が、シェリルさんの実体験を通して、Fecebookの「いいね」に込められていることは知ってよかったです。
シェリル・サンドバーク、アダム・グラント、OPTION B、日本経済出版社、2017