職業2 サードプレイス

日常生活を送る場所には、家庭、職場の他に、カフェ、居酒屋、雑貨屋、食堂などのインフォーマルなコミュニティの場があって、これらのバランスによって充実した毎日が送れると言います。この家庭でも職場でもない、3つめのコミュニティの場は「サードプレイス」と呼ばれています。

第二次世界大戦後の米国では、郊外の新興住宅地の増加によって、広くて理想的な家を手に入れた人々が増えた一方で、生活が細分化されていきました。都市社会学者のオルデンバーグ(1989/2013)は、自動車依存型の郊外生活によって、働く場所、眠る場所、楽しみや仲間を見つける場所それぞれが、ほうぼうに散らばって、構成要素化してしまった結果、コミュニティライフ(地域生活)がなくなってしまったと言います。郊外の主婦たちは、退屈で孤立し物欲で頭が一杯となり、労働者や子供たちは、毎日、会社や学校のような競争社会と、まるで「胎内のような」自宅の往復に埋没し、日々の生活のなかの意外性、新鮮さ、多様性を喪失し、息がつまりそうな日々を過ごすようになりました。

こうしたなか、サードプレイスは、個人の生活を支える場所として着目されるようになりました。ここでは、家庭と仕事を越えた個々人の自発的で定期的でインフォーマルなお楽しみの集いの場、とびきり居心地よい場所「The great good place」を提供します。仕事社会の土俵をいったん降り、平等な関係のもと、おしゃべりと交流がなされます。集まった人同士で、普通とは違う語りの世界へと旅したり、何か大切なものを分かち合っているような、遊び心を伴った体験ができます。

コミュニティライフの問題以外にも、高度に専門化された産業社会では、社会関係の蛸壺化によって、人々の相互関係はずたずたに引き裂かれ、所属集団以外の人々の関心や考えや習慣、問題や好き嫌いについて知らないままになってしまう傾向に陥りがちです。しかし、サードプレイスでは、決着のつかない討論はあっても、家庭や職場では不可能な利害関係のなかで、さまざまな人と知り合い、さまざまな人生観が生まれていきます。不満を言ったり、褒めたりからかったり、ジョークを言ったり、思索にふけったりしながら、経験に裏打ちされた知恵によって人生を耐え忍び、心の癒しやエンパワメントをもたらします。

思い浮かべてみれば、いろんな場所がすでにサードプレイスとして機能しています。スポーツの集まりや囲碁将棋の場、美容院や駄菓子屋やご近所のお店屋さん。日本では自宅近所よりも、職場周辺や帰宅途中の行きつけの場所にもたくさんあるかもしれません。そうした場所で一個人として受け入れてもらえる、常連客のような連帯感を持てる、第1でも第2でもない第3の場所つくりが、人々の心にゆとりをもたらし、豊かさと創造性をつくりだしていくように思います。わたしが行っている看護教員つどいの場も、そのひとつかなと思っています。

参考:

イ・オルデンバーグ(1989)/忠平美幸訳(2013)サードプレイス コミュニティの核となる「とびきり居心地よい場所」,みすず書房