教育4 看護過程

看護過程は、専門職としての看護実践の方法論として、常々論議されてきました。この方法論には2つの流れがあって、一つは問題解決過程、もう一つは人間関係展開のプロセスとなっています。前者に傾斜すると脱感性、後者に傾斜すると感性に振り回されるようなことが生じるため、両者のバランスが重要だとされてきました。

けれども、時間が流れるに伴って、前者は看護診断、後者はプロセスレコードと、二つに分裂し、さらにそれぞれが細分化される傾向にあります。看護診断では、国際的な診断分類が変更されるたびに、看護診断名が変更され看護問題の捉え方も変化するようなことが生じ、診断名にこだわりすぎると、逆に看護状況の全体が見えづらくなり、かつ、複雑な診断名は他職種と共有することが困難なために、看護師チームだけにしか通じないツールと化してしまうことがあります。この点について、ヘンダーソンは1)、看護過程という言葉が使われはじめたのは1950年代だが、これがクライエントへのサービスにおける問題解決と同じことを意味する以上、とりわけ看護独特のものとは言えず、独特のものとする考え方はむしろ保健医療専門職者の協力の価値をないがしろにしてしまう危険を持つと述べていますが、これをどれくらいの看護師が覚えているのでしょうか。

一方で、プロセスレコードは、看護状況の全体を考察するツールであるにかかわらず、個人の言動や行動の反省材料のために活用されるようなこともあって、方法の有用性に疑いがもたれてしまうことさえあります。

気がつけば、上のような看護過程そのものについての論議や考察について、教授内容に取り上げられること自体が少なくなったように思います。

故中西睦子は、臨床教育論2)のなかで、看護のイメージについての相違が看護過程の考え方に影響すると述べ、3つの看護イメージについて説明しています。1.現代的看護イメージでは、看護の関心は人間や人間性に向けられます。例えば、痛みを訴える人の痛みは医学的所見を認めずとも看護ケアの必要性がある状態と捉えられます。2.伝統的看護イメージとは、医師の指示や方針に対する問題意識が希薄なイメージです。患者の置かれた状況がマッチしなくても簡単に見過ごしてしまいます。3.医学的看護イメージは、疾病把握を最優先にするという態度に現われ、疾患が分からなければ、看護はできないという固い信念があります。

伝統的イメージ看護の看護過程は、情報収集、アセスメント、計画立案、実施、評価が要素の配列のようで、順序正しさが重要視されます。アセスメントプロセスよりも、むしろ情報が漏れなく集められたかの点検や計画が合っているかどうかの細かい点検が重視されます。医学的看護イメージの看護過程は、看護過程のステップに、論理的連関は見出されても、問題解決者としての看護師自身のありようや患者の人格的な捉え方を自ら振り返るステップはありません。医学を拒む患者は、否定的な評価がされ、その人格を含めた人間理解がなされない結果、不幸であると言えます。

看護過程の背景となる看護についての見方、価値観、哲学的視点についての検討がなおざりにされると、問題解決過程にしても、関係プロセスにしても、看護過程の方向は患者中心の看護から遠ざかっていくのではないでしょうか。

 

1)ヴァージニア・ヘンダーソン(1982)ザ・ナーシング・プロセス この呼び名はこれでよいだろうか

  ヴァージニア・ヘンダーソン選集-看護に優れるとはー所収(1995/2007)161-184 小玉香津子訳、

  医学書院

2)中西睦子(1983) 臨床看護論、ゆみる出版