わくわくする絵画展

明治末から大正時代の芸術界激動の時代を裏から支えた、北山清太郎の動きを追いながら、当時の画家、芸術家が、西洋美術にどのように影響され、国内で活動し交流してきたのか、美術作品を通して見せる絵画展、「動き出す!絵画展 ペール北山の夢」に行ってきました。現在は東京ステーションギャラリーで開催されていますが、この後、北山氏の故郷である和歌山、そして下関と巡回するようです。

北山氏は、1888年和歌山生まれで、20世紀初頭の水彩画ブームに乗って絵を書きはじめ、専門雑誌への投稿やグループを作って大阪や東京で活動するようになりました。徐々に、美術雑誌の編集で洋画界をリードするようになり、周囲の画家たちの展覧会のプロデュースも手がけメディアからも注目されるようになっていきます。パリで画家たちを助けたペール・タンギーのようだと「ペール北山」と呼ばれるようになりました。

北山氏が手掛けた雑誌「現代の美術」などの展示と、その時期その時期のさまざまな絵画の展示が、こじんまりしたギャラリーを活気づけ、私が生まれる前の時代であるのに、当時の高揚感が伝わってくるようでした。

心に残った絵画は、青空に黄色に紅葉したまっすぐな木々がスーッと描かれている斎藤豊作の「秋の色」:大正1年、岸田劉生の弟子である椿貞夫作「自画像」、それから、萬鉄五郎作「雲のある自画像」でした。とくに萬氏の絵は、絵画展のちらしを見た時からずっと気になっていたのですが、会場では真っ黒の壁紙の真ん中に一枚際立つように展示されていて、髪の紫や表情に浮き出る言葉にならないうつうつとこみあげてくるような色、頭上の赤い雲に足が止まり、見入ってしまいました。絵葉書も購入してしまいました。この絵はムンクに影響されていると説明がされていて、なるほどと思いましたが、この一枚は、直接見ることができてとくによかったと思います。

それぞれの絵画には、印象派、ポスト印象派キュービズムなど、何に具体的に影響されていたのか、そして北山氏を中心に画家たちがどのように交流し、互いに影響を受けていたのかもわかるように説明されていて、時代のダイナミクスに触れることもできます。

北山氏はその後美術界を離れ、28歳には輸入アニメーションの影響で、自己流アニメーション制作をはじめるようになって、日本初のアニメーションスタジオ:北山製作所を設立します。裏方として動きつつも、絵を書くことは続け、さらには動く絵画を目指すことになったのです。彼の作である、浦島太郎が上映されていて、コミカルなアニメーションを楽しみました。どうやったら北山氏のような人間が育っていくのだろうと不思議でしたが、細かく書いたものがなくて残念です。

さまざまな絵画は、全国各地の美術館から集めて展示されていて、企画した人々の意気込みも感じられました。東京ステーションギャラリーでの展示は11月6日(日)までです。

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