リフレクティブな関係ー学会を通して

無事に第27回日本精神保健看護学会が終わり東京に帰ってきました。

今回は、語りがテーマであっただけに、関心も深かったのですが、大会長の長年にわたる研究へのずっしりと重みを感じる語りの講演に心を揺さぶられたり、また、知人が十年以上も前に行った研究をやっと発表した会場に参加する機会を得て、彼女の長年に亘る精神看護への思いをせつせつと感じたり、と心に応える2日間でした。

他にも、フィンランド 西ラップランドのケロプタス病院のオープンダイアローグについてのワークショップでは、家族や援助チームのリフレクションの実際にロールプレイを通して多少触れ、人を通して支え合い回復することへの希望を改めて見いだせた収穫もありました。

最終のシンポジウムでは、″語り合う当事者・看護者 試される未来に向けて”、というテーマで、4名の精神障害者グループと、4名の看護師グループが登壇して、そこに各1名ずつのコンダクターが入って、両グループが交互に語り合いを繰り返すという、これもまたリフレクションを柱にしたもので、とても興味深かったです。

まず、当事者グループが20分間フリーに話をすると、それを受けて看護者グループが20分間話し合うといった具合でした。さらに、後半では、会場も含めてリフレクションを拡大するという企画でした。

当事者グループの忌憚ない語りの中に、看護師が、登場人物としてあまり出てこなかったことについて、看護者グループは寂しさを感じていましたが、それなのに「存在が前に出ない方がいいのかもしれない」と看護者が言っていたことが、本当の気持ちと逆のことを言っているようで心に残りました。当事者が自立していけば看護者は不要になるので当たり前ではあるかもしれないけれど、看護者がもっと当事者に認めてもらえても当たり前ではないかという承認欲求も、また当然であるように思えたのです。

当事者と看護者それぞれの心の中には、甘えたいけれど甘えられないというアンビバレントな思いがあるのだと思います。「怖い看護師が優しくしてくれたことが印象に残っている」という当事者の発言がありましたが、まさに、統合されきれないような看護師像と甘えたいのに安心して甘えられない裏腹な気持ちが表れているように思いました。精神の病は甘えの病といったゆえんでしょうか。

甘えの関係から、当事者ー看護者をゆっくり眺めれば、しっくりとした「これからの関係」が見えてくるようにも思いました。