ニュートラル?
最近、無感情を習慣にすることがリーダーシップの要素1)だという記事を読み、考えさせられました。悩みの最大の理由は「マイナスの感情」だけれども、その感情を癒す秘訣は「感情のない状態を取り戻す」ことだと言うのです。
確かに振り返ってみると、「無心」に取り組むことによって技術が上達するという体験は多くの人が体験していることで、その時の心持ちが「感情のない状態」と形容されているのでしょう。宗教的な境地に近いとも言えます。ニュートラルな状態が大事なゆえんです。しかし、現代人は、快と不快の間の大きな反復横とびで疲れきっているのだと記事では述べているのです。なるほど!
けれども、一つのグループの人間関係を思い浮かてみると、全員がニュートラル人間ということはありません。ニュートラルな人がいると、そばには感情表出型の人間がいて、補完的な人間関係が生じ、ニュートラルな人に代わって、感情表出型の人がニュートラルの人の気持ちを代弁的に表現しているのです。
しばらく前には「感情を素直に表現できる人は強い」と言われていたのに、時代が変わればニュートラルが大事・・・見方も変わるものだと多少の疲労感を持ちました。
ところで、経営学の感情研究の第一人者であるシーガル・バーセイドは、企業文化には認知的文化と情緒的文化があり、組織の成功に導く情緒的文化の意味を取り上げて解説しています2)。ここで認知的文化というのは、目標達成の指針としてメンバー間で共有される知的な理念、規範、成果、前提などです。一方、情緒的文化は、メンバーが共有する情緒的な理念、規範、成果、前提などで、それによって職場で構成員がどのような感情を示すか、抑えた方が無難な感情は何かが決まるそうです。
そして、企業では情緒文化に対して注意が払われることが稀であるばかりでなく、見落とされてしまい弊害を生むことが多いのだそうです。情緒的文化の多くは身体言語、つまり非言語な表情やゼスチャーで示されるために見落とされやすく、それに対して従業員の感情を「ニコニコ」アプリ(フェイススケールでの感情評価)への気分登録で把握する企業もあるようですが、そうした企業は少数派にとどまっているようです。しかしながら、人材や組織の動機付け要因の柱を成す感情部分をないがしろにしては、活性化が望めません。
楽しむ文化、友愛の文化をつくり、いつの社会にも避けることができない不安の文化とのバランスを取ることが必要なのです。
しかし、バランスと言っても、感情の無い状態を作りだすのではなくて、流れる時間の中で、感情的になったり少し抑制的になったり、時間の長期的な流れの中でバランスが出来てくることを目指すのがいいのではないかなと思います。その動きのある世界でこそ、ニュートラルで動きの無い世界ではなく、豊かな人間関係と文化がつくられるのではないでしょうか。
日々の生活ではさまざまな世俗的な刺激があって、揺られないことの方が不自然です。揺られることが自然で、けれでも1週間とか1ヶ月とか1年の間でまた落ち着くことがあるというような、長期的なバランスが生じるようになり、人々が感情的にいったんは燃え尽きてもまた安定がやってくることに希望を持てるような文化創りが大事かなと思います。
文献
1)心が強い人は「無感情」を習慣にしている | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
2)シーガル/バーセイド, オリビアA・オニール/有賀裕子訳. 組織に必要な感情のマネジメント.Harvard Business Review 41(7),82-94
琵琶湖
看護教育7 専門職業大学と、看護師・介護士・保育士 養成課程共通化と
実践的職業教育について、このブログで取り上げてから、1年以上経ちましたが、
http://blog.hatena.ne.jp/keikonsakaki/keikonsakaki.hatenablog.com/edit?entry=8454420450089087984
最近、さらなる動きが起こってきています。
3月の、文科省有識者会議からの、専門職業大学たる、教育課程の優れた専門学校からの移行を想定とし、修業年限2~4年で学位を授与する大学の類型を設ける旨の報告を受け1)、中央教育審議会が、職業教育に特化した新しい種類の大学をつくるよう、5月に文部科学相に答申しました2)。もちろん国の助成対象ともなる大学です。文科省は、2019年の開学を目指し、通常国会で学校教育法改正案を提出する考えだそうです。
並行して、厚労省から、看護師、介護福祉士、保育士などの医療・福祉系人材養成課程の一部を共通化する方針が固められています3)。こちらは、2021年頃の移行を目指しています。「基礎課程」の共通化によって、職業の選択肢を広げ、基礎課程修了後に資格ごとの専門課程を経て国家資格を取得する仕組みへの改変です。
福祉職は賃金が低く、人材不足が続いているものの、例えば介護職から看護師に転職する場合、現行の課程では、新たに3年制の看護師の課程に入学する必要があるため、こうした複雑さを回避するメリットがあるとも言うのです。「ニッポン1億総活躍プラン」とも関連づけられています。
2030年には医療・福祉系人材がさらに200万人必要とされると言われていますが、看護師については2008年から始まったEAP(経済連携協定)が進められてきたものの、アジアからの看護職の日本の看護師国家試験合格率が低く、人材交流は進まないままです。こうした状況下で、何とか国内で人材確保をというあがきのようにも感じます。
看護教育には、大学も短大も専門学校でも、厚労省の保健師、助産師、看護師学校養成所指定規則のしばりがあるために、こうした基礎課程の共通化は、専門職業大学指向と並行して、看護大学教育にも影響して来るのではないかと推測されます。
さてはて、看護教育の質の行く末はどこに向かうのでしょうか。病む、痛みと対峙しておられる人間に直接触れる、そして、科学技術の発展との接点で、さまざまな倫理的な場面で判断する必要のある職業に、即活用できる、職業につながりやすい知識とスキルの教育で対応しようとしているのですから…。成功したかのような錯覚に陥り、大切なものを捨ててしまい、将来性を閉ざしてしまうようなことがないといいなあと、祈る思いです。卒後の、即戦力としての問題解決力にとどまらず、幅広く深い思考力を培うのが大学であるけれど、その効果は卒業時に即、測定できるものではないという共通認識は、どこに行ってしまったのでしょう。
参考
1)文科省有識者会議、「専門職の大学」新設提言 :日本経済新聞
紫陽花
沖縄は梅雨入りと耳にしましたが、はやくも都内でも紫陽花が開花しだしました。写真の紫陽花、これから色が変化していくのでしょうけれど、今のところ、アイボリーと淡いブルーでなかなかいいな! と思いました。
花のほうが、季節の先頭を走っているなと感じさせられます。雨上がりの水滴が残っているともっと紫陽花らしいかなと思うと楽しみです。けれども、今年もそろそろ半分終わりかと思って、多少気ぜわしい気持ちにもなりました。