ドラムかんー真っ黒になってボールを追いかけたあの頃

久しぶりに高校時代のバレー班の同級生に会って楽しいひとときを過ごしました。あれから40年にもなろうとしています。

わたしたちのバレー班では名物の顧問、年子先生がいて、毎年の合宿には彼女がつくった「ドラムかん」という練習メニューがありました。年子先生は、故松平康隆監督と幼馴染で日本バレーボール協会の仕事にも少し携わっておられた方です

わたしが現役のころは山中湖での合宿でしたが、いったいどうやって持ってきたのかはわからないけれど、いわゆる、あの、ドラム缶が、毎年バレーコートに運ばれてきていました。

練習はすべて外。午前午後の終わりに年子先生は反対側のコートのネットの上から、そのドラム缶に乗って、選手一人に対して2分間ずつボールを投げ続けました。2分間、選手はコート全面を一人で守るのですが、選手個々の能力を見ながら、それぞれが、ようやっと届く地点にボールを投げる技術はハイレベル。おかげでこちらは、息は上がりぼろぼろかつ泥だらけ。ショートカットで真っ黒に日焼けしさらに全身ドロドロの写真が残っています。

あのころは、よくもこんな練習方法を考えついたものだとうらみがましく思ったものですが、あのころの年子先生と同じくらいの歳になった今、選手20~30人、立ってるだけで体力を消耗する炎天下で、1時間もよく投げ続けてくれたと、その体力に感嘆です。

合宿が終わると十数人いた1年生は半分に減りました。バレーボールに対する考え方が違うとか、きつくてやってられないとか。その子たちもそれぞれ個性的な人生を送っているようですが、今日集まったのは、持ちこたえて引退まで共にしたメンバーです。ドラムかん、合宿は辛かったけれど、今ではわたしたちの宝になっています。