緯糸と経糸

今春のことです。

就職活動をしていた長男が、懇談会懇談会と言って出かけるので、どんななのかと聞くと、2年目の社員との懇談会だから、就職後の仕事について何でも聞けるからいいんだよ、などと言っていました。人事部門との、1対1とか1対2とか面接場面なら私にも思い浮かぶものの、若い者同士での懇談会と聞いて、就活も大学受験の学生相談コーナーのような方法が取り入れられるようになったのだ、と時代の移り変わりについて行けないような思いでした。

高校生が大学を選択するのにも、その大学がどんな研究や教育を行っているのか、目指しているのかということよりも、どんな学生生活が待っているのか、学生から見たカリキュラムとは、勉学とのバランスはどうか、人間関係はどうか、そういったことについての、学生同士の情報交換が大きな役目を持つようになってきたようです。少子化で経営難に陥りだした大学は、そうした受験生獲得方法が功を奏するなら取り入れざるを得ないでしょう。

けれども、高校生と大学生も、大学生と2年目社員も、ほとんど横のつながりです。受験生や就活生には、ずっと先に目指すものではなく、ほんの先に進む先輩の方が頼りになるのか、あるいは不透明な世の中なので、遠い未来目指してなどということは思いもつかないのかどうか。

緯糸のみでは、どんなに厚い重なりができても、上下に開けば、簡単に向こうが見渡せて容易に手なんかをずぶっと通り抜けさせることができるような織物しかできないと思うのですが…しっかりとした経糸が必要なのでしょう。

どうも、しっかりとした経糸として活躍するような、良きリーダーが存在しなくなった今この時代、緯糸の厚みと細い経糸で編まれた織物で未来に向かっていくことになるのでしょうか。

という私は経糸となる世代なのですが。現状維持がやっとのこの頃で、情けないです。