広い河の岸辺

朝のテレビ小説「マッサン」と「花子とアン」でお馴染みになった歌です。マッサンでは、主人公エリーが口ずさんでいました。約340年前のスコットランド民謡「The Water is Wide」。中高年が火付け役となって大ヒットになったそうです。あちらこちらで歌われるようになったこの歌、わたしの身近でもコーラスをしている方の間で春に向けて練習されています。

母のコーラスクラブはやはりシニアの集まりで、率いる指揮者は80歳代後半だとか。このところ、息子に練習に連れて来られるものの、無気力で物忘れもあって、コーラスクラブの士気も落ち気味だったそうですが、メンバーの一人がこの歌の楽譜を持ってきたのをきっかけに、そこここで口ずさみだしたところ、指揮者はつと立ち上がり、最近は寄りつくこともなくなっていたピアノに座って、指をすべらせて引き出したのだそうです。ご存じだったのではと思いつつ、メンバーは見守っていたそうですが、その回の最後には、「みなさん!次回もこの楽譜を持ってきてくださいね」ときりっとしておっしゃったとか。

とても似た話を数年前に聞いたのを思い出しました。そちらは、戦後に小学校の音楽の先生だった方で、やはりお歳になられ無表情になって当時の面影もなくなり、それを寂しく思った、かつてその先生にピアノを習った教え子が、小学校当時のお話を聞きたくなって話しかけたところ、驚くほど生き生きとなって語ってくださったそうです。

誰しも輝く瞬間を体験している。それは、ずっと後になっても心に住みつづけている。また、心に住む輝きは、古いものから新しいものへ、新しいものから古いものへと交流し個々の心に繰り返し刻まれてゆくのだと、思いました。

 

ー広い河の岸辺ー(訳詞 やぎりん)

 河は広く 渡れない

 飛んでゆく 翼もない

 もしも 小舟が あるならば

 漕ぎ出そう ふたりで

 

 愛の始まりは 美しく

 優しく 花のよう

 時のながれに 色あせて

 朝露と 消えてゆく

 

 ふたりの舟は 沈みかける

 愛の重さに 耐えきれず

 沈み方も 泳ぎ方も

 知らない このわたし

 

 河は広く 渡れない

 飛んでゆく 翼もない

 もしも 小舟が あるならば

 漕ぎ出そう ふたりで