アイデンティティはどのように形成されていくのでしょうか。
今年に入って、仕事ではありますけれども、うん十年ぶりに海外に行ってきました。子どもが小さいうちは家を離れない母親をしていましたが、一応、昨年から成人ばかりになったので、母親としての在り方も変化しようとしているのかもしれません。
シンガポール、シティ・ホールという文化施設が多い地域のプラナカン博物館に行ってきました。
もとは学校だったところを博物館に改造したそうです。プラナカンは、中国系移住者が地元マレー人と結婚した家庭を指し、オランダ、ポルトガル、インドなどの影響を受け融合した独自の文化を作ってきました。
博物館の内部はとても印象的な構造。受付を見下ろした写真です。
さらに印象に残ったのは、街を歩いていても、色んな人種が入り交って歩いているので、みんなそれぞれといった感じで、さほど緊張しなかったことです。一方で多民族国家のアイデンティティって何だろうと考えさせられました。
昨日優勝したテニスの大阪さんのことも、今日はちょっと思い浮かべて、グローバル化する世界で、個人はどのようにアイデンティティを形成していくことになるのか、興味深く思っています。
子育てから離れつつある自分自身のアイデンティティーが投影されるのかもしれません。
下のような手工芸品…自分用のお土産ですが…が歴史を追って沢山展示されていて、華やかな文化を想像しながら、短い滞在期間を楽しみました。30時間位の滞在中、仕事に加えて少し散歩してシンガポールを味わえて幸せでした。
近況
かれこれ1年お休みしてしまいました。職場がかわり、内側の仕事のタスクが異常に増えて、体力がついていかず、焦りつつも進めない日々を過ごしました。
「きつい時に一歩だけ前に足を出すこと」というモットーでもって、行っている研究を発表し、その一歩のおかげで意見をもらったり、外の刺激を受けることができ、今日に至っています。
今年は分析が進まないでいる資料にじっくり向き合う時間を積極的に作ってご協力頂いてきた方々にも返していきたいと思います。
仕事でおでかけ
先週は定期試験の監督で富士急行冨士山駅に行きました。目的地はそこからタクシーで5分位なのですが、1時間目の監督でしたので、当日朝に行くのでは間に合わないと困ると思い、近くの知人宅に前泊させて頂きました。
下の写真の大月駅は富士急行の始発駅です。ここで早めの夕食を頂きました。と言っても、2枚目にあるように、6時半頃にはもう日が沈みイルミネーションが・・・冨士山です。右側に月が出ているのがわかりますか?
翌日はすっごい快晴でした!
富士急行、寿駅近くの電車車窓から撮影です。車内アナウンスに、今日は冨士山がよく観えると。そして徐行してくれたので、まあまあきれいな写真になりました。近くにどんどん迫ってくる眺望で、雄大かつ素晴らしい、さすが日本一だと、改めて思いました。拝む気持ちもよく分かりました。
もちろん、いつも晴れる訳ではないので、仕事前とはいえ、ご褒美を頂いた気持ちです。冨士山駅ホームでは、電車の向こうに冨士山がそびえていました。
人生100歳時代の看護
週間医学界新聞の新春随想で日本看護協会会長が、人生100年時代を想定して、全ての看護職に、ニーズをとらえる力、ケアする力、協働する力、意思決定を支える力、が必要だと書いています。新しくはなく、今までもずっと挙げてきた力だとは思いますが。
一方で、特に今年は、2015年に特定行為に係る看護師の研修制度が施行されたことを受け、地域で支える看護師として、臨床推論、フィジカルアセスメント他、特定行為のできる看護師の活躍のための制度作り促進を大きく取りあげていました。医療の必要な患者の地域での診療およびケアのニーズに対してです。社会変化によって看護への社会からのニーズは変化し、大きく医学的技術的な方向にシフトしていることがよく分かる内容だと思いました。しかし、これが人生100年時代を生きる人々とどう関連していくのか、ケアする力、協働する力、意思決定を支える力とどう関連するのか・・・これにはあまり触れられていません。
実際は、目まぐるしく変化する社会からのニーズをキャッチするのが遅れ遅れで、何に診療報酬がつくのかに絡んで、あまりまとまりなく進んでいて、そのなかで看護師が専門に行うケアとは何か言語化しきれない現状、誰とどう協働するのか、誰の意思決定をどのように支えるのか、十分討論されていない実情が沢山潜んでいるように思います。
ニーズを捉えることは大事とは言え、つい最近まで心の看護と言っていたら、今度は技術の提供が必要、と、方向を右に左に変えながら何が看護の専門なのか明確にせず、高齢社会の激動する社会に翻弄されていて、定まらないような、落ち着かないスタートのように感じました。
とくに、意思決定を支えるというのはその人らしく生きるには必須であるけれど、厳しい目標なので、もっと論点の中心にもっていく必要があると気になりました。100歳老人と老人を抱える家族や取り巻く社会関係のなかで関連する人は、患者、家族、住民、医療福祉従事者他沢山います。誰の意思決定を看護の場でどのように支えればいいのでしょうか。具体を考えると非常に難しいのではないでしょうか。
もしかしたら、患者自身や家族の意思決定を支えたいという看護職の強い思いは、看護職自身が揺られて葛藤するばかりの時代のなかに居て、何が看護なのか打ち出せない、自分自身が意思決定できないことへの思いの反映なのかもしれないと思いました。
複雑な事情が絡み合ったなかで、難しくなってきた看護について、事例毎にじっくり考えていく場や力が必要だと思います。制度作りの一つである特定看護師研修体制のなかに、じっくり考える授業が、加えられてほしいものです。
精神障害者と抱え込む家族
家の中に15年間監禁され、衰弱して亡くなった精神障害者の記事をみて衝撃を受けました。両親によると、16~17歳から精神疾患にかかり暴れるので監禁していた、と言います。こんなに長期間にわたってどうなっていたのか、娘の愛里さんはどのような体験をしていたのか、家族は誰にも相談しなかったのか、相談できなかったのか、と、この家族の孤独と孤立に、恐ろしくもありまた心が痛みました。
日本には江戸時代から座敷牢などがありましたが、1900年に精神病者監護法が制度化し、精神病者を私宅の一室で閉じ込め管理する、私宅監置といったことが起こっていました。1919年に精神病院法が交付され、不足していた精神科病院設置が道府県に命じられましたが、私宅監置が禁止されるには、1950年精神衛生法施行を待たねばなりませんでした。
精神病者監護法は世界的にも異質な制度と捉えられていますが、100年後の現代になっても、こうした事件が起こることに、驚き悔しい思いです。
愛里さんは、発見145cm、19㎏、胃のなかは空っぽだったそうです。16歳の身長としてもかなり低いほうだったかと思います。いったい家族にとって愛里さんはどのような存在だったでしょうか。娘のことは自分たちで責任を取らなくてはならないという思い、世間体や恐怖から外には漏らしてはいけないという押し込め、それから娘を嫌いになって受け入れられなくなってしまったり、そして娘の苦痛への否認もあったでしょうか。
この両親に対しての憤りと同時に、このように子どもを育てられない親が助けを求めることができる場がないのか、積極的に助けることができないのか、それが可能な社会になるには、いったいどうすればいいのか、と苦しい思いです。
参考記事
奥多摩へ 介護タクシー試乗体験
晩秋の紅葉を満喫させて頂いた一日でした。3人のうちの誰が晴れ日を呼んだのか、暖かく気持ちいいドライブでした。
前々から楽しみにしていた介護タクシー試乗体験で奥多摩に向かいました。デイケア用の車両が改造されたものだそうで、車いす、担架が備え付けてあり、しっかりした手すりや補助席もあって乗り心地満点、ストレッチャーが入る長さで車内は広々としていました。
私は同行者の方と一緒に真ん中の3人掛けの席に2人で座らせていただき、奥多摩まで、そして周遊道路をドライビング。
下の、山のふるさと村では、青い空と、喫茶店の窓から見えた真っ赤な紅葉、そして湖畔の美しい景色や、ちょっと狂い咲いたかのような桜に心癒されました。
そして、ぐるっとまわった後、月夜見第一駐車場から奥多摩湖の素晴らしい眺望。空気もおいしい!
遅めの昼食は山菜三昧。麦飯と一緒にお腹がいっぱいになりました。
感謝感謝の一日でした。
ありがとうございました。
明日からも頑張ります。